探偵 父をたずねて 5

依頼人が帰ったあとで、あらためて戸籍謄本を見る。依頼人早川直子は、昭和三十九年四月五日に京都で出生している。父親は新田繁夫、母親は森本和子となっている。両親の姓が違うのは、二人が離婚したためだ。そして母親の和子は、翌年、東京都出身の早川史郎と再婚し、同時に早川直子は、早川氏と養子縁組を行っていた。彼女がまだ一歳のときである。

養父の早川氏は初婚で、その後、和子との間に一男一女をもうけている。したがって、依頼人には、異父弟妹ができたが、養父は穏やかな人物で、特に依頼人を可愛がったらしく、養女であることを「就職のときに初めて知りました」と言っていた。京都で依頼人を生んだ母親が、なぜ東京で暮らしようになったのか。その辺の事情までは聞かされていないのだろうと思ったわたしは、それ以上はたずねず、
「じゃあ二週間くらいでご報告いたします。前日にでもご連絡しましょう」と言うと、依頼人も「ではよろしくお願いいたします」と丁寧にお辞儀をして帰っていった。

本件のマルヒは新田繁夫という名であったが、依頼人が置いていった戸籍からは、その他のことは不明であった。したがって、目の前にある、戸主早川史郎の戸籍謄本からさかのぼっていくしかない。表題の早川氏の欄に、彼自身の戸籍事項の記載がある。出生の年月日や生まれた場所の記載に続き、昭和四十年十一月三十日森本和子と婚姻と書かれ、次の項に、同じく昭和四十年十一月三十日新田繁夫同籍直子と養子縁組届出と書かれ、一つ置いた依頼人の欄にも、出生の記載に続き、昭和四十年十一月三十日早川史郎の養子となる縁組の届出(養子の代諾者親権者母)があり、京都市下京区西洞院通塩小路下ル東塩小路町六九九番地の八新田繁夫戸籍から入籍したことになっていた。そして、父新田繁夫、母早川和子という父母の欄の横に、養父早川史郎とあり、その下に養女の記載がある。

こうしてくどくどと書くとたいそう複雑な事情のように思えるが、世間にはざらにあることで、仮に男性が子連れで再婚した場合、その子供は新しい母親と養子縁組を行う。そうすることで、万が一、父親に続いて養母が死亡した場合、養母の持ち分に対する相続権が発生するのだ。したがって、高齢の男性の再婚などは、すでに成人している先妻の子どもたちの猛反対に遭遇する羽目となるのである。依頼人の場合も、正式に養子となったことで、早川史郎の歴とした相続人になりうる。こうした戸籍からさかのぼれる事項を検討したうえで翌日からさっそく、依頼人早川直子の身元調査に取りかかった。

今回の調査はわた自身が担当することにした。そのことを伝えると、にょていの恵美子助手は、「へえ珍しいことがあるのね、どういう風の吹き回しかしら。でも所長が出張すると経費倒れになるかもね」などと、嫌味を言うのも忘れず、しぶしぶ許可した。もっとも調査部長は、わたしがこういう調査にかけては比較的得意なbンやだということを知ってくれているので、「久々に所長の腕を拝見できますね」と言ってくれた。

わたしが新田繁夫の所在調査をやろうと思ったのには、理由があった。一つには、元来この種の調査が好きだということもある。一口に調査といっても、さまざまな種類がある。素行調査が一般的で、俗にいう浮気調査である。配偶者から依頼されて、夫あるいは妻の尾行調査を行う。次に、弁護士事務所からの依頼で最も多いのは、債権債務に関する資産調査や、裁判に必要な証拠資料の収集がある。離婚のため、有利な状況が欲しい場合もこれに該当する。

このほか、身元調査や行動調査もある。結婚のために相手の身元を調べたり、ヘッドハンティングの対象者について身元や行動調査もある。商取引を有利に進める目的で、交渉相手の身元や素行を調べることもある。さらに相手企業の実態を調査するケースもある。また、家出人の捜索も行う。これは所在調査という。この種の調査は本来、警察の職域だが、警察は多忙であり、一件一件細かく調査することなどない。未成年や事件性のある場合は別として、一般人の家出は「捜索願」を受理する程度である。

これを、探偵社は所在調査として引き受ける。ただし、前述したとおり、依頼人は親族に限るとされる。なぜならば、昨今、ストーカーにわれわれが悪用される事象が増えたためらしい。また、変わったところでは、筆跡、指紋、声紋、DNAの鑑定などもある。ときには電話や室内盗聴などの依頼も持ち込まれることがある。ただし、これは犯罪になるからやらないが、反対に電話の件さ、盗聴器発見業務を依頼されることがあり、こちらは引き受ける。となると、さまざまな技術を身につけていないといけないことになるが・・・。このように探偵事務所の行う調査には、細分化すれば実に多岐にわたる調査があることをおわかりいただけるだろう。

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