探偵 父をたずねて 3

依頼人には大学在学中の弟と妹がそれぞれひとりづつおり、マルヒ本人は、上のお姉ちゃんと呼ばれています。短大を卒業したあと、大手町に本店のある〇〇銀行に就職したことはよく知られています。きょうだいそろって、道で近所の人と会うと必ずきちんと挨拶する、よくできたお子さんたちよ、という声や、隣家の主婦は、買い物帰りの駅で上のお姉ちゃんとばったり会って、荷物を持ってもらったのなどと、口をそろえて褒めちぎっていました」

池原の調査は自宅周辺から、当然のことながらマルヒの勤務先まで行われていた。「マルヒの勤務先での評判ですが、こちらも同様でして、おとなしく目立たないが仕事ぶりは申し分ないと、人事課の担当者が言っていました。こういうふうに欠点を探すのが困難なくらいの娘さんです。嫁さんをもらうなら彼女みたいな人ですね」最後は個人的な見解まで入れながら、褒めちぎった。池原には、マルヒが実は依頼人でもあることを伏せておいたので、なんだかくすぐったいような気持になり、わたしは言った。
「そんなによいことだらけの人間なんているものか、もうちょっとよく調べて見みろ」そう指示してみたものの、このあとそれほど多くのことは出てこないと思ったわたしは、早川直子に電話をかけた。
「調査もほぼ終了しましたので三日後に報告したいのですが、ご都合はいかがですか」と伝えると、おうかがいしますという返事だった。時間は前回と同様、午後六時にした。

報告の日。約束の時間の直前に、よんどころない用事ができてしまい、外出せざるを得なくなった。しかたなく、依頼人の対応を、助手の恵美子と調査を担当した池原に任せることにした。そのとき初めて池原に事情を説明し、依頼人がマルヒであることを伝えた。池原は単なる身上調査と思っており、調査結果もさしたるものがなかったが、自分で報告するわけでもないからと、報告書にもマルヒである早川直子の評判がよかったことだけを記入していた。ところが、依頼人とマルヒが同じであることを知り、さらにそれを自分で報告しなくてはならなくなったので、「所長、そんなっ」と言って絶句した。
「まあそういうわけだからよろしくね」
とわたしが肩を叩くと、池原は渋い顔をした。

最後の報告をほかの者に任せたこともあって、早川直子からの「自分探し」調査の件は、わたしの心の片隅にしっかりと残っていた。「依頼人はちょっと照れくさそうにしていましたが、満足されたようです」と池原の報告を受けていたが、あの報告で満足したかどうか、直接会っていなかっただけに心に残っていたのだ。ただ、当時は忙しかったために、さまざまな案件が信じられないくらいひっきりなしに入っていた。そのため、いつしか早川直子のこともファイルの中に埋もれていった。仕事の量は多かったが、調査員への指示を的確にこなせるようになっていた助手の恵美子と、特別に迎え入れた調査部長のおかげで、わたしは当時設立されたばかりの調査業協会の仕事と、好きな麻雀をしていればいいという太平楽な毎日を送っていた。もっとも恵美子には、時折嫌味を言われてはいたが、事務所の懐具合もあたたかく、恵美子の機嫌もすこぶるよかったと思う。

そうこうしているうちにその年も暮れ、新年が幕を開けた。珍しく事務所にいると電話の鳴るのが聞こえた。
「所長、早川さんという方からお電話が入っています」
電話に出た事務の女性が言うので、机の受話器を取った瞬間に、あの、「自分探し」調査を依頼してきた若い女性の面影が浮かんだ。特に学業が優秀という事もなかったわたしだが、唯一、記憶力だけはよかった。探偵になりたての頃、「上野の松坂屋の電話番号を調べてくれ」という所領に、すぐさま番号を答えて驚かれたことがある。種を明かせば、その少し前にそこでアルバイトをしていたため、電話番号を覚えていただけのことである。最近こそ、その記憶力にやや陰りが生じてきたが、まだ若い調査員に負けない自信はある。ましてやその依頼人は、一年前に会い、最後に心を残した人であった。

「お久しぶりです。お元気ですか。あのときは最後の報告に立ち会うことができずにたいへん申し訳ないことをしました。お気を悪くされたのではありませんか」
少し後ろめたいような気もあってそう言ったのだが、依頼人は、わたしが前回のことをしっかり記憶していたことで安心したらしく、うれしそうな声でそうした危惧を払拭してくれた。「いいえ、そんなことはありませんよ。池原さんんにご説明していただいて、少しこそばゆい思いをしましたが、たいへん満足いたしました。ほんとうにその節はお世話になりました」
「そうですか、それならいいのですが。ところで、本日はどのようなご用件でしょうか」
「実は、前回の調査の続きみたいなことですが、またご依頼したいのですが、よろしいでしょうか」

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