探偵 父をたずねて 9

中肉中背、兄にも祖父にも似ていない。ましてや、わたしとは似ても似つかぬ風貌の、少しくたびれた印象の漂う中年男。来ている背広もお世辞にも上等とはいえない安物である。探し物をしているのだからしかたないのかもしれないが、歩行に落ち着きがなく、視線は宙を泳いでいる。こんな人が自分の父親かと思ったが、卑下するとか嫌悪する気持ちにはなれなかった。むしろ、愛おしいような、懐かしい仲間に久しぶりに出会えたような、充実した気持ちで、わたしは左手を挙げて父に合図した。

「政史君か」
二十年ぶりの、父の第一声だった。わたしは父をじっと見つめ、落ち着いた声で「はい」とだけ言った。もちろん、涙も出なければそんな感傷もなかった。わたしを育ててくれた伯母や祖母、そのほかの親戚たちは、わたしが物心ついた頃、わたしの父親を悪しざまに噂した。ある者は、軽薄な男だったと言い、またある人は、どうしようもない浮気者だったと評した。幼少の頃から山のように父の悪口を言われ続けたが、わたしは、そんな父を一度も恨みに思ったことはなかった。母に対しても同様である。わたしはどちらかといえば感受性の強いほうだと思っている。よく怒るし、なんでもないようなことでもすぐ感激する。よく笑うし、よく泣く。しかし、父母に対しては、ほとんどといってよいほど、良くも悪くも深く考えたことはないし、思い出の対象にしてこなかった。なぜ離婚したのか、なぜわたしを捨てたのか。考えてもしょうがないし、いくら考えても正解は出ないだろうと思っていた。

しかい、自分が結婚し、わが子を持ってみて、ごくごく自然な形で当時の父母の状況や考え、その後の二人の人生などがはっきりと理解できた。二人が出会い、結婚し、わたしを生んでくれなければ、当然ながらわたしはこの世に存在せず、人としての悲喜こもごもを体験できなかったわけで、二人に感謝こそすれ、恨んだりする必要はまったくないのだ。南座の前で再会したわたしと父は、父に促されるまま、近くの喫茶店に入った。
「大きくなったな」
席に着くなり父が言う。他人事みたいに淡々とした口ぶりで、そんなこと言ってもらいたくないと思った瞬間、
「ずいぶん無責任だよな。あんた自分の子どもの年くらい覚えているだろう?普通の子は、六つか七つになれば小学校に上がるんだよ。筆箱の一つくらい送ってきてもよかったんじゃあないの?」
と言ってしまった。運ばれてきたコーヒーを飲む間、会話を交わすこともなかった。父と再会を果たしたときの思い出といえば、この気まずい雰囲気のことしかない。言わずもがなの言葉が口をついてしまったことを後悔しつつ、わたしはコーヒーを飲み終えると、すぐに父と別れた。

父は下戸で、正月にお屠蘇を少し飲んだだけで寝込んでしまうほどだったらしい。その代わり、タバコは両切りの缶ピースを好み、たいへんなヘビースモーカーのうえ、甘いものを好み、晩年は、砂糖を山のように入れたコーヒーをよく飲んでいたという。再婚したものの、決して幸せばかりでなかったようだ。

父は昭和五十四年九月に亡くなった。父の弟から危篤の知らせを受け、母を伴って京都に駆けつけたわたしは、病床に横たわる父と十数年ぶりに再会した。わたしと母で見舞ったその日、ベッドの父と世間話をするうち、父が医師に内緒でタバコを咥えた。母がさっとライターを取り出し火をつける。すると父がとてもうれしそうな顔で何か言った。それを聞いた母もまた、えもいわれぬ表情になり、恥ずかしげに応じたのだった。あとで、「なんて言ったの」と聞いたら、母は、遠くを見つめるような目で、「カムサムニダ。ありがとうという意味よ」と教えてくれた。

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