探偵 父をたずねて 7

もうひとり、母の姉に真佐子という人がいて、芝居の一座を持っていた。のちに、娘浄瑠璃の踊り手として山口県の無形文化財に指定されるのだが、伯母のきぬ子やわたしは、ときどきこの一座の座員として地方巡業に同行した。もちろん、きぬ子伯母に役者ができるはずもなく、彼女は主に木戸で入場料の徴収を担当した。幼児のわたしはに至っては、足手まといでしかなかったが、一座に同行することで、食糧難の時代にもかかわらずひもじい思いをせずにすんだ。それに、ほかにも同じような年齢の子どももいたし、刀や槍など遊び道具には事欠かず、楽しく日々を送っていたように思う。ときどきは舞台に立つこともあった。舞台に立つといっても、例えば劇の中の。江戸市内で火事が起こった場面などで、毛布をかぶって舞台の端かを「火事だ! 火事だ!」と叫びながら走って行き過ぎる役のようなものだったが、楽しい経験になった。また、理解できないながら、芝居を見て面白く感じる場面もあり、退屈しないで過ごした記憶がある。

昭和二十六年春。
「この子の将来のために、地方を転々とする旅回りの一座に留まるのはよくない」という理由で、祖母が建てておいてくれた山口県豊浦町の家に戻ることを決め、わたしは、地元の宇賀小学校に入学した。以来、母方の郷里で伯母と二人だけの生活がはじまるのだが、海と山に挟まれ、わずかな土地に寄り添うように住宅が密集する山陰の漁村は、風光明媚なうえ人々の人情は優しく細やかで、この土地で成長したわたしは、とても幸せだったと思う。同時に、この鄙びた村が、わたしの人格形成の原点になったといえよう。

伯母と二人だけの暮らしだったが、村中が親戚同士みたいな土地柄で、近所のおばさんたちがみな、わたしの実の母のようだった。学校に行くときに会えば「行ってらっしゃい」と言ってくれ、下校時に会えば「お帰り」と声をかけてくれる。三日に一度は「晩御飯を食べにおいで」と招いてくれるし、帰宅すると、誰の仕業かわからないが、縁側に甘いものが置いてある。ところが、逆に悪さでもしようものなら本気で怒られた。いまでも玄関に鍵をかける家がないほど長閑なふるさと、それが豊浦町湯玉である。

昭和四十年、すでに上京していたわたしは、ひょんなことから自分の戸籍謄本を見る機会があった。わたしの本籍は、福岡県築上郡吉富町字直江である。筆頭者は福田信次となっている。父は長男なのに「次」がつく名前は変だなと思っていたが、のぶつぐと読むということがわかってその疑問は氷解した。当時はまだ調査とは縁のない暮らしをしていたので、謄本の見方もよくわからなかったのだが、父母の離婚が明記されていることはわかった。もちろん、わたしも姉も未婚だったので、、父の戸籍に、長女あるいは三男として記載されている。ただ、長男である兄の部分に×印がついていた。よく見ると、その前年、東京で結婚していることがわかった。「昭和三十九年〇月×日木本百合子と婚姻届出、同日福岡県築上郡吉富町字直江福田信次戸籍より入籍、東京都渋谷区笹塚一丁目△番地に新戸籍編成」となっていた。まだ見ぬ兄というより、物心ついてからは会ったこともなく、伯母や叔父から、お前には六歳上の兄がいると聞かされていた程度で、それらの人たちでさえ、その兄がどこで何をしているのか皆目わからないという状況だった。

しかし、こうして実の兄が同じ東京に住んでいるらしいことがわかったわたしは、数日の間落ち着かない気持ちで過ごしたのち、意を決して兄を訪ねてみることにした。数年後、探偵になるわたしは少しばかり調査員の素養があったのかもしれない。某日、戸籍に書かれている住所を頼りに一軒のアパートを訪問した。木造二階建てのその建物は、それでもわたしの住むところとは段違いに立派で、家賃も高そうだった。わたしは、郵便受けに、「宮本・福田」と書かれてあった二階一番奥の部屋のドアをためらいながら叩くと、
「どちらさま」
中から若い女性の声がした。
「福田です」
わたしが答えると、少し間を置いて、声の主がドアから顔を半分出した。
「どんなご用件ですか」
訪問した目的を述べるわたしを、女性は疑わしそうな表情で一瞥したのち、
「二郎さんなら、今日は、宮本二郎という名で新宿のアシベに出ているから、そちらに行って」
と言う。女性の言う「アシベ」が当時有名なジャズ喫茶であることくらい知っていたが、それほど有名なところに、なぜ兄がいるのか訝しく思った。しかし、わたしのほうは、きちんと兄の本名を言ったので、女性の言う二郎さんが兄であることは間違いない。期待に胸を弾ませながら、再び京王線に乗って新宿に行き、二郎さんこと宮本二郎と面会するためアシベに行った。

インフォメーションに本日の出演者として、「宮本二郎とスクラップサウンズ」とある。当時、ドリフターズや、ダニー飯田とパラダイスキングという夢イなバンドグループが隆勢を極めていたので、もしかしたら、わたしの兄もそうなのかなどと想像しながら、受付で兄を呼び出してもらうことにした。

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