探偵 父をたずねて 6

探偵になって、四十数年経つが、わたしは、張り込み尾行のような「動」の調査より、資料を集めて分析したり、聞き込みを主体とする内偵調査のような「静」の調査が性に合っているらしく、どちらかといえば、時刻表や地図を調べ、こつこつと自分の足で現地を踏査することを好む。特に、今回の所在調査のように、過去にさかのぼって戸籍を追っていく類の調査は、被調査人の人生や人物像が薄紙をはぐように次第に明らかになるという、小説を読むような面白さがある。しかし、わたしが今回の調査を担当しようともうひとつの理由は、別にあった。

一月も終わりに近いある日、わたしは、久しぶりに京都に来ていた。早川直子の父親の所在調査のためである。京都には、わたしの過去において、忘れようとしても忘れられない、浅からぬ縁があった。京都に向かう新幹線の車中、否応なしに十年前のことが思い出され、すでに鬼籍に入った父のことなどを考えていた。

昭和二十年十一月二十四日、朝鮮からの引き上げ船が、博多港に着いた。三日前、京城駅(現在の韓国ソウル)を出発した同胞たちは、釜山を経由し、この日やっとの思いで母国にたどり着いたのだった。京城から釜山までのわずかな距離を移動するのに長時間を要した理由は、途中で朝鮮人によるさまざまな妨害に遭ったためだという。京城を出発した汽車は、釜山港に着くまで何度も故障した。しかし、乗っている日本人が係員に現金を渡すと、故障が直り走りはじめ、またすぐ止まってしまうということの繰り返しであったという。いまさら、かの国やその人たちを非難するつもりはないが、こうした事情で帰国に時間がかかったらしい。

その年の八月十五日、日本は連合国側に無条件降伏し、終戦を迎えた。当時、朝鮮の京城市に住んでいたわたしの家族は、当然ながらその地を追い払われる身となった。両親やその兄弟らは、一刻も早く日本に帰るべきだと主張したが、母方の祖母は頑として反対した。祖母はおよそ三十年前、山口県の豊浦町から、夫の伊三郎と三人の子どもを伴い朝鮮に渡り、同じく出稼ぎに来た日本人の中で、五指に入るほどの財を成していた。伊三郎は早逝したが、不動産や金融業を家業としていた。また、長男が東京の歯科大学を卒業して挑戦で開業し、終戦前は歯科医師会の会長になっていたというから、名士でもあったのだろう。祖母はこうした財産とは別に、近所の朝鮮人たちとの交流の歴史が無になることにこだわった。

しかし、終戦から三カ月が過ぎ、祖母と交流の無い朝鮮人らに、土足で家に入り込まれるに至って、やっと現状を理解して帰国を承知したという。祖母は多産で、十六人の子を産んだ。末っ子の七女がわたしの母である。大正七年、京城で生まれた母は、同じく一家で朝鮮に来ていた福岡県出身者の長男であるわたしの父信次と結婚し、四人の子を授かった。

こうして、やっとのことで帰国したのだが、間もなく両親が離婚してしまった。まだ一歳のわたしがその理由を知る由もなかったが、後年、伯母が語ったところによると、銀行マンだった父は引き上げの際に、朝鮮人の検閲を逃れ、かなり高額の金銭を持ち帰ったらしい。これは帰国しなければならなうなった人たち全員が苦心したことのようだったが、例えば、布団の綿の中に隠したものなどは係員に見つかり没収されたという。わたしの父は、紙幣を紙縒りにしてゴム風船に居れ、さらにこれを水の入った水筒に押し込み、検査員が来ると子どもたちに飲ませるふりをして難を逃れた。このように、わたしの父は小才の利いた人だったようだが、そのあとがいけなかった。

わたしの叔父に武市という人がいる。なかなか面白みのある人だったが、大言壮語の癖があり、少々遊び人でもあった。父はこの叔父と仲がよく、帰国後も行動を共にしていた。その叔父の武市が、
「信ちゃん、近々新円切り替えがあるそうだ。そうなったら、いま持っているお札は紙切れ同然になる。いまのうちにそれを元に新しい事業を起こそうよ」
などと言って、不安になった父を伴い、京都に行き、半年以上ゆうっめいな料亭に居続け、有り金を使い果たしたという。仕事を探すと言って出掛け、一時行方知らずになった父が無一文で帰宅したことを聞いた祖母は、「あの男は見込みがない。早く別れたほうがいい」とすぐに親族会議を開き、離婚させられたらしい。わたしが成人した頃、母が「わたしは別れたくなかったが、祖母の権力は相当なものだったようだ。

そのとき、長男であるわたしの兄が父を引き取り、母は姉を伴って関西地方に行ってしまった。残されたわたしは離婚の言いだしっぺの祖母に引き取られ、祖母の没後、二女で母の実姉きぬ子に育てられることになった。彼女は生涯独身を通したが、決して男嫌いというわけでもなく、美貌の人だった。かつては看護師だったが、当時はもう勤務することもなく、蓄えを少しづつ取り崩し、片田舎での生活を維持していたようだ。

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