探偵 父をたずねて 11
近隣での聞き込みの結果、佐和子の夫つまりマルヒは、結婚当初こそ真面目に働いていたらしく、自転車で御用聞きに走り回る姿を見かけたが、もう十年以上水田家に近寄っていないという。ある日のこと、配達の途中でダンプカーと接触する事故に遭い、近くの病院に入院したあと、自宅療養するうち勤労意欲が失せたらしく、以来、まったく働かなくなったようだ。妻の佐和子や佐和子の両親も、本人から「体の調子が芳しくない」と訴えられれば無理も言えず、放置しておいた。そんな日々が続くうち、生来の悪癖がはじまった。最初は、近くでパチンコをしたり夜飲み歩いたりするくらいだったが、ある日を境についに帰宅しなくなったらしい。水田家では、すっかり愛想をつかし、妻の佐和子も近所の知り合いに「捜す気にもなれない」と漏らすほど、愛情が希薄になっていた。ただ、四人の子どもの将来を斟酌し、戸籍をそのままにしているにすぎず、子どもたちには「お父さんは遠くで仕事をしている」と言い聞かせていたようだが、、最近では子どもらも薄々わかってきたらしく、家族間の会話にも上がらないとも言っているようだ。わたしはひとおり水田家の状況を調べ、その日のうちに兵庫県西宮市に入った。
マルヒ新田繁夫の実家は、幸いにも現存していた。新田家は、阪神本線今津駅から西に二キロほどのところ、閑静な住宅地の一角にあった。小さな土地に建てられたこぢんまりした木造家屋は、四、五年前に建て替えられたらしく、洒落た外観だった。繁夫の実父は、神戸市三宮のレストランで働くコックで、同じ店で長く勤め、もう責任者みたいになっているという話を聞いた。聞き込みに応じてくれた近隣主婦によると、マルヒの母親は最近新興宗教に凝っていて、よく外出するらしい。マルヒには妹がひとりいるが、結婚して岡山に住んでいる。ごく普通の家庭で、近隣とのトラブルも一切なかった。マルヒについても、昔は元気のいい子で、甲子園が近いこともあって、将来は野球選手になると言っていたとの風評が聞かれた。ただ、高校に行くようになって不良グループとのつきあいがはじまり、高校も出たかどうかわからないという状態だったようで、その頃から実家付近で見かけなくなったようだ。
さらに聞き込みを続けるうち、最近ばったり出会ったという人に話が聞けた。その人はマルヒの中学時代の同級生だった。
「私は武田製薬尼崎工場に勤務しているが一か月ほど前、神崎新地の居酒屋で、偶然隣り合わせて昔話で盛り上がりました。ええ、元気そうでしたよ。なんでも、奥さんがその居酒屋で働いているとかで、たまに迎えがてら飲みに来るようなことを言っていましたね。住まいも教えてくれましたが、塚本駅のそばのアパートでした」
大阪港近くで三度目の結婚をし、妻の実家に同居してクリーニング店を手伝っていたマルヒは、妻と子どもたちを捨て、居酒屋の酌婦と世帯を持っているという。私は何がなんだかわからなくなってしまった。港区築港の水田家は、人のよさそうな主人とその妻、それにマルヒの妻である娘の佐和子が加わり、家業のクリーニング店を営んでいる。特別贅沢をしなければ、平均的な生活は約束されている。四人の子どもたちも、長女が高校三年生で来春卒業する。やはり高校生の二女と中学生の長男と三女。四人とも評判のよい子たちで、あとは成人するまで見守ってやるだけ。それでよいではないか。マルヒはなにが不満で、大切な家族を捨てるのか。
現在一緒に暮らす女性は、マルヒと変わらない年齢だという。居酒屋の酌婦というが、神埼新地といえば、付近は男たちの喜ぶ色町である。彼女の本業があるいは違うのかもしれない。マルヒは、店がしまう頃になると迎えに来るというから、おそらくヒモなのだろう。