探偵 布団 7
なんなんだ、と思いながらも、彼が泣きやむのを待った。青年を伴い、その日のうちに東京に着いた。新大阪に向かう途中、依頼人に連絡すると、「わたしたちも一緒に帰りたい」ということになり、予定を変更して同じ列車にした。座席指定が二人分しか取れなかったので、依頼人夫婦に座ってもらい、わたしと青年はデッキで立ったまま東京に向かった。名古屋を過ぎた頃だろうか、青年の様子がおかしいのに気づいた。時折、ちらちらと依頼人夫婦のほうを向くのだ。
何げなく青年の様子を観察していると、信じがたいことだが、夫が横に座っているにもかかわらず、マルヒがしきりと青年に合図を送っていることがわかった。彼女は目で「逃げよう」と言ったり、あるときは「愛してる」といった表情で見つめるのだ。わたしの前にいる青年もまんざらでもなさそうだ。わたしは、こうした状況を見て、もうすぐ東京に着くという頃、後日のために少し脅かすことにした。
「おい、まだ懲りていないようだな」青年は、ハッとしたようにこちらを見る。「あの奧さん、いまでもああやっておまえに何だかんだと言ってるが、こっちはちゃんとお見とおしさ。だんなも知らないふりをしているだけだぜ。東京に戻ってから二度と会ったりするんじゃあないぞ。俺は探偵だ。おまえたちが、もしこっそり逢ってもすぐにわかるんだ」青年に言いながらマルヒのほうを見ると、わたしが気づいていることを知って、下を向いてしまった。
「仮に、どこに逃げても、今度みたいに見つけてやるからな。それが嫌なら外国にでも逃げるんだな」とダメを押した。すると、青年は心底怖がった様子で、「もう二度としません」と言って震えている。わたしは、少しお灸が効きすぎたかなと可哀想になり、声の調子を和らげて、「ところでさっきはどおして布団にしがみついて泣いてたんだ」と聞いてみた。すると青年は、すこしはにかんだ様子でこう言った。「大阪に来て、奥さんはボクに、とても優しくしてくれました。最初のうちはボクが下手だったので怒られたんですが、そのうち、いい、いいと褒めてくれるようになり、毎晩、奥さんとあの布団で寝るのが楽しみでした。それも今日で終わりかと思ったら、すごく悲しくなったんです」
わたしは、変なことを聞いて失敗したと思ったが、青年はわたしを見てニッと笑った。これで「仲村遼子に関する所在調査」案件は、落着した。
それから間もなく、依頼人仲村夫婦は離婚した。「努力してみましたけど、どうしてもダメでした」後日、報告に来てくれた依頼人は、絞り出すようにそう言って泣いた。
駆け落ち相手の青年の家が近くにあっては何かと不都合だろうと思った依頼人は、せっかく手に入れたマイホームを売り払って、中野から離れた多摩市に移ってやり直そうとしたらしい。そのため、夜勤の無い職場を求めて転職までしたという。
「妻も、自分の犯した罪を深く悔いて、心から反省しているようでした」
依頼人のこの言葉に偽りはなさそうだった。妻はもうパートに出ることもなく、主婦業に専念した。表面上は何事もなかったのごとく、平凡で穏やかな暮らしが戻った。ところが、たった一つだけ、どうしても以前のようにならないことがあった。夫婦の営みである。これがどうもうまくいかない。
妻のほうは、なんの支障もないのだが、依頼人がインポテンツに陥ったらしい。普段は平常心で妻に接することができるのだが、夜ベッドに入り、いざ行為に及ぼうとするとうまくいかないという。依頼人は真面目すぎるくらいの人である。その最中、妻の顔を見るうちに、あの若い男のことが脳裏をよぎるという。依頼人も人の子である。疑うこともあれば嫉妬もする。