探偵 布団 6
依頼人が二階の少年課に上がったあと、わたしも少し間を置いてからあとを追った。広い部屋の真ん中あたりで、刑事と話をしているマルヒの姿が見えた。以来にっも妻を見つけ、机と机の間を縫うように妻の座っている方向に向かっている。わたしは「ああ、やるな」と思ったが、時すでに遅し。依頼人は、思いがけない夫の姿を見て思わず立ち上がった妻に、ものも言わず平手打ちを与えた。
立ちすくんだマルヒと依頼人の間に刑事が入り、「まあまあ、ご主人ちょっと待ってください」と言いながら、依頼人をなだめ、二人を座らせ何やら言っている。しばらくして、どうにか収まったらしく、二人は刑事に深々とお辞儀をして、わたしの待っているほうにやって来た。依頼人は「もうどんなことがあっても離さない」と言うかのように、しっかりと妻の手を握っている。わたしは二人をいったんホテルに帰すと、その日のうちに相手男性の勤務先を訪問した。
勤務先の社長に事情を話し、相手男性の退職の手続きなどをすませるためだ。社長は、わたしの説明を聞くと、驚きながらも、実際に遭遇した二十歳ほども年の離れた駆け落ち騒ぎに興味津々といった表情でいろいろと聞きたがった。わたしも、突然従業員を失う経営者に同情し、面白おかしく話してあげたあとで、「社長さんも奥さんを大事にしないとたいへんな思いをしますよ」と冗談めかしに忠告をした。それを聞いて社長は、「そやなあ、そんなことになったらかなわんで」などと関西弁で応じる。
今回の依頼人である仲村氏が、妻をいい加減に扱ったとは考えられないが、わたしを含めて、このような災難はいつ何時、降りかかるやもしれない。夫は妻を、きちんと見つめながら暮らさなければならない。そうすれば、お互いに相手の感情を変化に気づき、危険を回避できるはずである。会社からの突然の帰社命令を受けて、何事かと心配そうな顔をしながら青年が帰ってきた。わたしは、マルヒについては、写真を預かっていたので、およその印象は持っていたが、成年とは初めての対面である。訝し気げにわたしを見るとオドオドした顔は、ほんとうに、まだ坊やであった。十九歳だというその青年は、何がなんだかわからないという顔をして驚いていたが、「君のお母さんも心配している。東京に帰ろう」わたしの言葉に、素直に「はい」と答えた。
まだ子どもである。おの奥さんも罪つくりなことをしたもんだと思いながら、青年を連れて彼らの愛の巣へ行った。依頼人から頼まれて、二人の住むマンションを解約し、荷物を整理する必要もあった。青年に聞くまでもなく、家財道具はほとんどなく捨ててもいいようなものばかりだった。マンションに着くと、まず家主と会い、部屋の解約を申し出た。その間、青年には部屋の片づけをし、荷物をまとめるようにと命じた。その際、「逃げたりするなよ」と、少し怖い顔をして釘を刺しておき、彼の作業が終わるまでドアの前で待つことにした。十分、二十分・・・。なかなか青年は出てこない。変だなと思い、ドアに耳を当ててみたがシーンとしている。三十分が過ぎる頃になり、痺れを切らして部屋に入ったわたしは、不思議な光景を見た。部屋は六畳ほどの広さで、形ばかりの台所がついていた。ガランとした部屋には何もなく、隅のほうに布団が一組畳んで置いてある。わたしが見たのは、青年がその布団にしがみついて泣きじゃくっている姿だった。「おい、何してるんだ!」わたしは滑稽なものを見たおかしさと、同時に、まだ余計な手間をかけるのかという苛立ちとで、部屋に入って青年を蹴っ飛ばしたいような気持になった。わたしの問いかけにも答えず、青年は、同じ格好でまだ泣いている。