探偵 夜店 6
本件調査のマルヒの場合、配偶者である依頼人に与えた損害は計り知れない。したがって、払う犠牲も大きいものとなる。不倫相手の律子も同様でマルヒと共に、妻紀子さんに対して犯した「共同不法行為者」としての責めを負わなければならない。余談だが、読者に知ってもらいたいのは、ほんの浮気心で出発した不倫沙汰でも、場合によっては、とんだ大ヤケドになることもある。関係者の人生を誤らせるだけでなく、命を落とす危険さえはらんでいる。夢ゆめ軽薄な行為は慎みたいものである。
報告書を読み終えた依頼人がやっと口を開いた。「所長さん、わたしはこのあと何をどうすればいいのでしょうか」すがるようなまなざしでわたしを見る。これからが探偵の正念場ともいえる。わたしは、本件調査の「所見」を次のようにまとめていた。被調査人の有責事実は動かしがたく、しかもその範囲は大きい。しかし一方依頼人も、長年、共同生活を営み、家庭生活を守るべき立場の配偶者として、夫の行動を看過した責任も否定できない。
少し酷ではあったが、妻として、あまりにも暢気すぎたのではないか。むやみに疑うより、夫に対し、全幅の信頼を寄せる姿のほうが美しいかもしれないが、「あなたの場合、努めて見ないようにしたんじゃあないの?」と言ってみた。俯いて悄然とする依頼人に、さらに、言葉を続けた。
「奥さんは、故郷のお母さんに言われるまでもなく、前々からご主人の事を疑問に思っていたんじゃあないですか。でも事実を知るのが怖くて、扉を開けられなかった」
ここまで言ったとき、依頼人は、意外そうな顔で大きくかぶりを振って、非難めいた目でわたしを見つめ、そのあと初めて泣きだした。わたしは、そんな依頼人を見つめながら、泣きやむまで待ち、自分の考えを話した。四十を超え、それなりの社会経験もある夫人に対して行うアドバイスは、第一に、説得力がなければならない。次に、依頼人の現状に即し、将来性に見合った方法であり、言葉でなければならないと思う。目の前に座っている依頼人は、家庭を捨てる気持ちはさらさらない。もちろん、夫との離婚も考えていないだろう。二人の子どもは、これから大学まで行こうとすれば、相応の学資も必要である。しかし、何より父親不在では、子らの精神面のバランスが保てるだろうかという心配もある。「何もかも見なかったことにはできませんか」わたしは思いきって大胆な提案をすることにした。
「えっ」という顔を依頼人はした。わたしは続けた。「長い間探偵をやっているわたしも、今回のような結果は初めてです。ご主人は、見事に二つの家庭を営んでいます。いってみれば、二人分働いているのと同じです。まあ甲斐性があるといえばそれまでですが、妻として、決して許せないことであることもよくわかります。そこで、二つの方法を考えてみましょう。一つは、現状を変える作業ですが、親族を巻き込んで大騒ぎするやり方です。でも、奥さんにもプライドがおありでしょうから、自分の恥を公にすることに耐えられるかどうかが問題です。そのほか、弁護士に依頼して、相手方を訴える方法もあります。律子に慰謝料を請求するのです。これは、奥さんが、すべてを知ったうえで「許せない」という意思表示です。言い換えれば、宣戦布告といってもいいでしょう。もちろん、ご主人に生活態度をあらためてもらうための協議も必要です。お二人で話し合いができなければ、家庭裁判所の家事調停に委ねることになります。