探偵 夜店 5
数時間後、依頼人から連絡が来た。ずいぶん早いな、と思ったが、依頼人も不安に思ったのだろう、わたしからの電話を切って、すぐに市役所におもむき、バスの中で謄本を念入りに読んで、自宅に帰ってわたしに電話をくれたらしい。「手元に戸籍謄本がありますが、どこを見たらよいでしょうか」依頼人は、特別感情の変化を見せず穏やかな口調で聞く。わたしはいささか拍子抜けしたが、もちろん泣き叫ばれるよりずっといい。腹の据わった人だなと感心する一方で、見方がわからないのかなとも思った。「奥さん、いまどこを見てますか」「隅から隅までちゃんとみました」私は、変だなとおもいつつ見るべき箇所を教えた。「最初のページのご主人の欄ですが、なんて書いてありますか。一番右上に本籍地と書いてあるでしょう?その左に、生まれた場所や奥さんと結婚したことが記載されていますね。そのあとに何か書かれていませんか」
「いいえ、何も書いてありませんが」
依頼人は怪訝そうな声でこう言う。わたしは、おかしいなと思ったが、これ以上依頼人と問答しても無駄だと答えた。ここで事実を明かすわけにもいかないことだ。「そうですか、わかりました。それではこの件は結構ですので、とりあえずここまでの中間報告をしたいのでお時間をいただけませんか」とっさに出た言葉だが、依頼人はなんの疑問も持たずに、翌日なら大丈夫だと言うので、時間を決めて電話を切った。
翌日新宿に出てきてもらった依頼人と、東口にある喫茶店で会った。夫に親しい女性がいることは依頼人も知っている。そのせいか、初めて会ったときのような快活さは消えている。それ以外にも何か事実がわかったのかと思いながらここまで来たのであろう、心なしか顔色も冴えず、体全体に憂いが感じられた。依頼人は、席に座るなりバッグから戸籍謄本を取り出すと、私に差し出してきた。わたしは、表の部分を一瞥してすぐにすべてが理解できた。そこには当然記載されていなければならない文言は見当たらず、依頼人との婚姻事項の記載で終わっていた。なんの変哲もない、ごくごく普通の戸籍謄本であった。調査は、依頼人の夫忠雄の有責事実を明らかにし、さらに、動かぬ証拠と共に、不倫相手、内山律子母子の生活状況を詳細にまとめ、冊子にして報告した。わたしは、報告書の最後に、調査員が感じたこと、大方はわたしの考えみたいな(調査所見)を書き加えることにしている。例えば、ありきたりな浮気沙汰であると判断した場合、「本人らは、将来の固い約束までしておらず、早晩破綻することも考えられる。したがって、少しの間、様子を見るのも一つの選択肢である」とか、とても辛抱はできないだろうと思える依頼人には、「法的な手段を講じ、早急に解決することが望ましい」とし、不倫相手に対し、損害賠償(慰謝料)の請求を行い、一方で、夫の態度を冷静に観察することなどをアドバイスする。いわゆる「人の恋路に水をさす」わけだが、案外功を奏し、あっけなく夫が不倫相手と別れてしまうケースも多い。わたしは、へえーあんなに燃え上がっていたのにと、不思議な思いに駆られることもあるが、所詮不倫関係なんて脆いのかもしれない。何かの拍子に、一方が冷めれば、あっという間に崩壊する、極めて軽い関係である。
ところが、夫婦の場合はそうはいかない。結婚は、民法の定めることろの歴とした「契約」であり、その契約を一方的に破棄しようとすれば、それなりのペナルティが科せられる。