探偵 夜店 1

夏休みも終わりに近い、八月下旬のある日。自宅近くの神社で祭りが行われ、広い境内に、色とりどりの夜店やタコ焼きなどを売る屋台が出て、たいそうにぎわっていた。芦田夫婦は、久しぶりに郷里から上京してきた妻の母親を誘い、夕涼みがてら、神社までの小道を散策しようということになった。夫の忠雄は四十七歳。妻、紀子は四十二歳。二人には、高校三年と中学一年の男の子があり、平凡だが経済的にはゆとりのある家庭生活を営んでいた。忠雄は、中規模の建設会社を経営しており、現場回りで出張が多く、ほとんど家にいないが、夫婦仲が悪いということもなく、紀子も四十を超えて寂しがる年でもなかったし、むしろ働き者の夫を誇らしく思っていた。
昨夜は、珍しく夫が帰宅した。紀子よりも紀子の母親のほうが大いに喜び、子どもたちも交えたにぎやかな夕餉が終わったばかりであった。小一時間かけ、他愛もない夜店の雑貨を見たり、綿菓子を冷やかしたりして、紀子は思いがけず至福のひとときを過ごした。高校卒業後、東京の貿易会社に就職が決まり、郷里の長野県から出てきて、二十四年の歳月が流れた。忠雄と知り合って結婚。以来、専業主婦となり、子宝にも恵まれ、何不自由なく暮らしている。そして、いままでそうした生活に疑問を感じたこともない。
今朝のことである。夫を送り出し、子どもたちも学校に行ったあと、羊羹でお茶を飲みながら、たわいない会話が途切れたとき、言いにくそうにしながらも、母が思いがけないことを言った。「おまえ、忠雄さん少し変じゃない?」
「何が・・・」と訝しる紀子に、「昨夜、神社の祭りを見に行ったときのことだよ」そう言われてもピンとこない紀子に、母はこう続けた。「だっておまえのところは男の子ばかりじゃないか。それなのに忠雄さん、女の子の履く下駄とか、女の子が喜びそうなオモチャばかり見てたよ」
「そうかしら、わたしにはそんなふうには見えなかったけど・・・偶然でしょう。お母さん、変なこと言わないで」常より仲のよい母娘のこと。何事もなくその場は収まった。当然ながら母親も、娘の家庭に波風を立てようというつもりはなく、すぐに、郷里の誰それさんがどうしたこうしたという話題に移った。数日して、母も長野に帰り、紀子にまた平凡で退屈な日々が戻った。
ある日。親友が訪ねてきた。長男の幼稚園時代、同じ通園バスに乗り合わせて以来、子どもを交えて親しくなり、十数年のつきあいをしている。住まいも近く、何かといえば会っておしゃべりをする仲だった。しかし、この日の友人は様子が違っていた。顔色がすぐれず、少し前まで泣いていたような瞳をしている。紀子は、何かあったなと思ったが、友人は、今のテーブルに座るなり肩を震わせて泣きだした。泣きやんでからの友人の話はこうだった。大手商社に勤める夫が突然別れたいと言い出したらしい。確かな理由は言わず「離婚してくれ」の一点張りで話にならないと言っては、また泣きだす始末だった。紀子は親身に自分の意見も交えてあれこれ相談に乗り、二時間ほどで「頑張ってね」と励まして友人を帰した。友人は夫に愛人ができたのだと、かなりの確信を持って言っていた。ハンサムで会話も洗練されており、紀子も、「あのだんなさんなら、さぞかしもてるだろうな」と思っていただけに、友人の苦境を察すると行く末を案じた。そうしたことがあって、さらに数日経ったある夜、ベッドに入ってから突然、母の言っていたことを思い出した。あのときは格別に気にもとまらず、母もそれ以上突っ込んだことは言わなかったが、少々心配になった。

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