探偵 バブル 2

坂口と名乗る男は、わたしが部屋に入るとき、周囲に聞かせるような大声で「どう、元気?」と言う。わたしはなにがなんだかわからなくなったが、声にならない返事をしてその場をしのいだ。すのすこぶる調子のよい坂口氏は、大東和興産の本部長だった。
「本部長の俺がよぉ、探偵の一人や二人知らないと、さまにならねえ。だからおまえさんも、俺とは昔からのつきあいということにしておいてくれねえか」
二人きりになり、名刺を交換したあとで、坂口本部長は、ふてぶてしく笑っている。「そういえばあんた、どこかで会ったことがありそうだ」などとのたまうものだから、わたしも面倒になり、「今後ともよろしく」などと気の抜けたような返事をした。人と人との出会いは、実に不思議なものである。この坂口晋三という男と出会ったことが、わたしとわが事務所に大きな転機をもたらしてくれた。年齢はわたしより七、八歳上だろうか。自分より年上で、しかも大切な依頼人だ。仕事をいただく立場であれば、相手に対して注文をつけられるはずもなく、ましてやその人間性を詮索する必要もない。しかしこの日、依頼人と顔を合わせた瞬間に、これから先の両者の関係のありようが決まったような予感が、わたしをとらえていた。これは、例えば、その人の家柄とか学歴、また、所有する財産の多寡などとは無縁の「男と男の関係」いわば動物的な力関係で、わたしとこの依頼人は、早くも勝負あったのである。坂口本部長は、向こうっ気の強い顔をして、言葉遣いも乱暴で、やくざっぽいそぶりはするが、本質は気持ちの良い善良な人だった。周りに、驚くほどの気配りを見せながら、懐の深い、清濁併せのむような度量の大きさもあった。しかも、いざというときの度胸は常人の比ではなかった。
わたしの事務所は、まだ新宿駅西口の大ガードの脇にあるワンルームマンションの一室だった。探偵のくせに経済の流れにうとく、この時期がいわゆるバブル景気の真っ最中だったことをあとから知った。わが貧乏事務所も、前年あたりから妙に多忙になり、調査員も増えていた。ただでさえ狭い事務室のこと、全員が入りきれる余裕などない。それぞれにポケットベルを持たせ、特別な用事のないときは、近くの喫茶店で待機させるありさまだった。バブル景気の異常さを示す例など枚挙にいとまがないほどだが、昭和五十四年に一千二百万円で買ったわずか六坪のこの事務所を、「七千五百万円で売らないか」と不動産業者が来たことがある。仰天し、からかわれているのかと思ったほどの異常さだった。この頃、新宿に「地上げの帝王」と称され、愛人が何人いるとか、競走馬を何頭も持っているなどともてはやされた原島氏率いる原島興産があり、大企業をヒモつきにして、不動産を買い漁っては、巨万の富を得ていた。
この原島氏をまねて、雨後のたけのこのように、地上げを専門とする不動産業者が誕生した。さらにこれらに寄生するように、小才の利いたブローカーが暗躍した時代であった。そうした熾烈な地上げ競争の中で、大東和興産は原島興産に次ぐ位置にあり、猛烈な勢いで業績を伸ばしていた。はじめて大東和興産を訪問したこの日の坂口本部長に依頼された案件も、やはり土地がらみで、行方不明になった地権者を捜してほしいというものだった。文京区内にある老朽化した住宅を、大東和興産が四千万円で購入した。手付金の五百万円を支払い、さあ、最終契約だというときになって、手付金を受け取った売り主の川井が忽然と行方知れずになり、本契約ができずに困っているという事情を話してくれた。「残りの三千五百万円を払って、やっこさんの印鑑をもらわないと、どうにもならねえんだ」

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