探偵 バブル 1

「うるせえ、馬鹿野郎!」「なんだとおぅ?おまえ、何をいってるんだあ!」
エレベーターを降りると、いきなり怒声が聞こえてきた。新宿駅西口の高層ビル街の一角にある指定されたビルを訪問し、社名のロゴマークが入った受付まで来たが、わたしは入室をためらっていた。それでも、せっかく調査依頼をしたいと言ってきたのだからと思い直し、恐る恐る中を覗くと、思ったよりも大勢の社員が蠢いていた。派手ではあるが、男性は一応スーツを着ており、数人いる女子事務員は統一された制服を着用している。百坪はあるだろう事務室内では、机に座って書類を書いている人がいる。壁に貼られた営業成績を示すグラフを見ながら上司らしき人に叱咤され、うなだれている人もいる。
先ほど怒鳴り合っていた二人は、まだ大声で何か言い合っている。しかし、誰もそれを止めようとはせず、まるで傍観者のように無関係を装っている。何より異様に映ったのは、ほとんど人が極めて派手な服装をしており、ひと癖もふた癖もあるような人相をしていることだった。この日、わたしを呼びつけた会社は、大東和興産という。後日聞いたことだが、通称「大東和組」と呼ばれていた。その強引で悪辣な営業ぶりが、まるで暴力団のようだとしてつけられたあだ名らしい。
事実、わたしの目にも、これは堅気の会社ではないなと見えたし、実際に正真正銘の坂西会系の暴力団組員も社員として在籍していた。わたしは、すでに五、六分も受付の前にたたずんでいる。だが、誰も気にとめないばかりか、目の前の「受付」と書かれた机に座っている女子事務員も知らん顔である。どんな内容の依頼だかわからないが、この場から退散したくなってきた。広い東京にはいろんな人が住んでいて、さまざまな会社がある。少し前、すこぶる払いのよい会社があって、しばらくの間、わが貧乏事務所の上得意先だったが、ある日集金に行くと、記者が押しかけており驚いたことがある。どうしたんだろうと思って様子を見ていたら、背広姿の一団が厳しい顔をして到着するとそのまま会社に入っていくではないか。これものちにわかったことだが、スーツ姿の一団は、検察官であった。結局、この会社は、数千億円を詐欺まがいに集めたとして、大きな社会問題になり、代表者がやくざに刺殺される事件に発展した。もちろん、わが事務所の集金はできずじまいであった。
そんなことを思い出したこともあって、ここもやばそうだ、申し訳ないが縁のなかったこととしよう、そう決心して部屋を出ようとしたとき、それまでしきりに社員を叱っていた男がわたしに気づき、女子事務員のひとりに対応するように命じたため、わたしは帰りそびれてしまった。女子事務員はふて腐れたような顔でやって来た。チラッと壁の時計を見ると、すでに午後五時を大きく回っている。なるほどと思ったが、聞かれるままにわたしは、「坂口さんに呼ばれまして」と言って名前を告げた。
しかし、世の中わからないものである。電話でわたしを呼んだこの会社が、数年後、わたしの人生を大きく左右することになり、それを機に、わたしの貧乏事務所が、東京でも大手といわれる探偵社に変貌したのである。わたしの来訪を取り次いだ女子事務員が奥の部屋から出てきた。続いて、五十がらみの男が体を半分だけ出し、「よおっ!」と言って、人なつっこい顔で手招きする。私は思わず、「あれ?どこかで会ったかな」と思ったが、思い出せないまま調子を合わせて軽く頭を下げ、その男のいる奥の部屋に向かった。

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